Amsterdam 2

  • 2016.09.17 Saturday
  • 23:55

 オランダの街を歩くには、自転車に要注意。

 自転車がすごく多くて、運河沿いにある駐輪場にはなんと3000台が停まっている。

 

 旧ルター派教会 

 

 

 通りの向こうに見えるのは、西教会。

 

 

 色んな自転車があったけれど、これはテーブルを囲んで飲みながら漕ぐお座敷自転車??

 宴会気分の彼らは、陽気で、街の人からも「フー!」とか、歓声を浴びていた。

 



 

 こちらは、東京駅がモデルとしたアムステルダム中央駅。

 やっぱり、似てるね!

 

 

 通りに並ぶ建物だけど、よ〜く見たら、斜めになってるのもある。

 運河が近いここでは湿気からちょっと片寄ったりってこともあるよう。

 また、こちらの建物は視覚的に大きく見せるため、窓を大きくしたり、上に行くほど窓を小さくして高く見せたりしたようだ。

 

 

 アムステルダムは運河の街。

 ならば、やっぱり運河めぐりをしなくては。

 

 風車やチューリップという可愛いイメージの他に、「飾り窓」や大麻合法という顔もあるオランダ。

 息子の手前、そんな界隈を歩くことは避けたのだが、街を歩き、人と触れ合いながら感じたのは、オランダ人の不思議な魅力だ。

 

 とにかく陽気。

 男性同士の結婚式を、船から歓声をあげて祝福する乗客、ジョーク言い続ける船長さん、奇声をあげ、モデルウォークをしておふざけをする女性に、引くことなく、それに乗り手を叩く人々。

 その陽気さはラテン系の太陽を全身に受けた底抜けの陽気さとは違っていて、どこか曇り空を感じさせる。

 だからこそ、天気に負けない強さがある。

 時にはうっとうしく感じるその陽気さは、人を楽しませよう、または自分が楽しもうという意欲からなのかも。

 

 ホテルまで乗った列車では、お友達とはぐれてしまって途方に暮れたトルコ人の女性を、そばに座った皆が力になろうと集まっていた。なんだか、こちらまで優しい気持ちになる。

 

 オランダ。

 来てみないと分からなかった面に触れることができた旅だった。

 

Amsterdam

  • 2016.09.17 Saturday
  • 23:17

 16日、息子の学校が終わってから、飛行機に乗り、夜、アムステルダムのホテルに到着した。

 2泊3日とは言え、昨日と明日は移動日で、実質、観光は今日のみ。朝から有効的に動くしかない!

 

 オランダと言えば、風車とチューリップ。

 周りの人たちが春先に、ロンドンからチューリップを目当てでキューケンホフへ、よく出かけていた。

 でも、今は秋風の吹く9月、残念ながらチューリップは望めない。

 今回の我らの大きな目的は「国立美術館」と「アンネ・フランクの家」だ。

 

 どちらも人気で並ぶと言うので、あらかじめネットでチケットを買っておいた。

 これは、大正解!

 スムーズにどちらもゆっくり見ることができた。

 

 

 

 オランダ最大の国立美術館

 

 

 レンブラント「Night Watch」

 この絵の前には人だかり。

 

 

 著名な絵画の前には、細かくい絵の説明が数か国語で書かれているボードが用意されており、それを見ながら鑑賞できる。

 当時オランダでは、個人個人がお金を出し合い集団で画家に描いてもらっていた。

 この「夜景」もそのようだが、整然と平等に並んで描かれる普通の集団肖像画とは全く違い、個人個人に動きがあり、歌劇でも見ているようなこの絵に対し「不平等だ」などと文句を言う依頼者もいたのだとか。

 

 

 ウィリアム・レックスの大型帆船模型

 

 美術館の入り口で、スケッチブックと鉛筆を頂いたチビ助、自分なりに気になった絵や展示物を描いていた。

 おかげで、彼がスケッチしている間、私もゆっくり絵を観ることができた。

 

 

 ゴッホ自画像

 

 レンブラントは多くの自画像を残しているが、ゴッホの自画像もまた印象的。

 自身の内面を見つめ、見透かし、睨み、愛おしみ、憎み、画家たちはどんな葛藤の中で己と向き合い続け、作品を完成させたのだろう。

 

 この他にも、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」や、フランス・ハルス「笑う男」など、名画を鑑賞できた。

 

 

 ミュージアム広場で。

 

 お次はアンネの家。

 1940年5月、ドイツからオランダに移りアムステルダムでジャムと香辛料の会社を持つオットー・フランクとその一家は、自身の会社の事務員に協力してもらい、会社の建物の一部を隠家として住み始めた。

 アンネは13歳の誕生日に貰った日記帳に、隠家での生活を、ここで記したのだ。

 

 

 隠れ部屋の入り口、動く本棚

 撮影が禁止されているので、パンフレットより。

 

 24時間、外に出ることができない。

 日中はカーテンを1センチも開けることができず、下で働く従業員に物音を聞かれないように常に気を配り、夜8時半になるまでは水は一滴も流せない。

 部屋にはアンネの家族の他に4人住んでいた。

 彼らの隠家共同生活は2年間に渡ったが、そのストレスと言ったら、想像するだけで胸が痛い。

 

 本棚の脇をすり抜け、隠家に入る。

 実際使われていたキッチンや、寝室、トイレ、居間、そして隠家の中で一部屋だけ窓があったペーターの屋根裏部屋。

 それぞれの部屋には、アンネの日記から彼女の言葉が飾られており、それを読みながら足を進めるミュージアムになっている。

 

 チビ助には、アンネのこと、ヒトラーのこと、簡単に話して聞かせた。

「どうして、隠れてたのに、捕まっちゃったの?」

「誰かが、ここにアンネたちが居ることを、教えちゃったからだよ」

「せっかく隠れてたのに、ひどい! 悪い!」

 

 息子はそう言って怒っていたが、あんな時代を思うと、密告者を責めることはできない。

 アンネ一家をかくまっていた協力者だって、どれほどのリスクを抱え、ストレスを感じていたのか、、。

 密告した人は、未だに分からないままだと言う。

 

 強制収容所に送られたアンネもお姉さんも1943年チフスで収容所内で亡くなった。

 ただ一人生き残った父、オットーが、彼女の日記を世に送り出し、91歳で亡くなるまで、本を読んだ読者から届く手紙に返事を書き続けたそうだ。

 一人、生き残ることは、死ぬことより辛い事であったのでないだろうか。

 でもお父さんが居たことで、アンネを始め家族は世界中の人々の心に生きることになったのであり、またお父さんにとっても、日記を送り出す使命は、彼の生きる支えになったに違いない。

 

 彼女の日記帳からあふれてくるメッセージに、胸がいっぱいで、口を開いたら大泣きしそうで、黙ってアンネの家を後にした。

 

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